12月17日 人権週間トークセッション講演録 ①

令和2年12月17日(木)「人権週間トークセッション 一人ひとりの「らしさ」を大切にしあえるまちへ ~SOGIハラ・アウティングのない社会とは~」が開催されました。

当日、会場の雰囲気はとてもあたたかく、講師の方々のお話しは、大変素晴らしく一人でも多くの方に聞いていただきたい内容でした。その気持ちから、今回3回に分けて、講演の内容を掲載します。少し長いですが、お読みいただけると嬉しいです。ご意見、ご感想もお待ちしています。

永見理夫市長挨拶

 昨年度2019年ソーシャルインクルージョンを理念とした「国立市人権を尊重し多様性を認め合う平和なまちづくり基本条約」を施行しました。また、第四次定例委員会で人権を守りながらどうやってすすめていくかということで「女性と男性及び多様な性の平等を推進する条例」の条約改正をしました。

 国立には、しょうがい者の条例があります。その条例が定着するまでに社会的規範としてしょうがい者の問題を考えられるようになるために、どれだけ時間かかったかというと私の尺度よるとだいたい40年かかっています。すなわち制度を作るのは、合意形成さえできれば首長としては提案して議会に同意してもらえばできますが、それが一つの形としてなしてくるには、意識の中におりていって人々の心の中でそれが合意形成されて制度として根付くにはものすごく時間がかかる。アウティング一つとってもLGBTの人たちの権利を制度として認めようとするとあらゆる制度をどういう風に作り変えていくかということがさまざまな局面ででてくる。一つの制度を今の制度に落とし込むと権利としてさまざまなアウティングの問題に触れるのではないかと課題がでてくる可能性がある。定着させていくにはいろんなことがなくてはいけない。そして社会ってアウティングのない社会ってどんな意識としてどんな風に定着していくかというのはあまり経験がなくてコロナと関わっているようなことと同じようなところがありまして、このような問題を一つずつ一つずつ行政も含めて試行錯誤する、権利が守られるってどんなことなのか常日頃、アンテナ張りながらやっていくしかないという手探りの状態が続くんだろうと思います。お二人の講師と皆さんは意見をぶつけ合ってソーシャルインクルージョン、底辺にあるものを大事にしながら組み立てていくということを一緒に考えていけたらという趣旨だと思っています。どうぞよろしくお願いします。

山下敏雅さん(弁護士、国立市男女平等推進市民委員)

「国立市男女平等推進委員会はジェンダーバランスもとれていて、年代もバラバラ、立場もバラバラ。いろんな意見がでて毎回楽しみにしていました」

 皆さん、こんにちは。弁護士の山下です。

 簡単に自己紹介をしたいと思います。1978年昭和53年生まれに現在42歳です。1978年がどんな年だったかと言いますとキャンディーズが解散した年になります。高知県南国市生まれの千葉市育ちです。2003年に弁護士登録しまして現在弁護士18年目になります。私自身は2年前国立市の男女平等推進委員会にお呼びいただきまして、国立とは全く縁もないそういう人間でしたので市民委員会どんな感じかなぁと思ってたんですけど、毎回本当に楽しかったんですよ。ジェンダーバランスもよくとれていますし、年代もバラバラ、立場もバラバラで、いろんな意見がでて、建設的にわいわいと議論ができるので、毎回楽しみにしていました。委員会でパートナーシップの話はどんなことがでたのかということも後半では話していきたいと思います。

 私は弁護士として主に子どもの事件、児童虐待の案件を児童相談所の代理人としてやっています。もう一つ、セクシュアルマイノリティのことを弁護士として取り組むようになってきてこちらに呼ばれたということがありますのでまず、私が弁護士としてこの問題に取り組むようになったかということを一番最初からお話しします。先ほど、私は、2003年に弁護士登録しましたと申し上げました。当時、司法試験に合格してから弁護士になる間に1年半の研修期間、司法修習があり、3か月埼玉県の和光市で修習、一年間地方に散らばって実務修習、で戻って三か月修習という流れでした。私は実務修習の一年間を生まれたけど育ったことがない高知を第一志望にして、3か月の前期修習が終り、荷物も送り翌日の飛行機で高知にいくというその日に知り合いの当時50代の方から、今すぐ上野の病院に来てほしいと電話がありました。病院に駆けつけますと私を呼んだ50代の友人と友人達、ベッドには酸素ボンベをつけ、横たわっている男性がいて、その横ではおたおたしている韓国人男性がいるという状況でした。友人はなんで私を呼んだかというと実はここで酸素ボンベをつけている方というのはHIVに感染して免疫が下がってエイズを発症し、もう余命が数日の状態です。横にいる韓国人男性はパートナーとしてずっと長いこと夫婦同然のように暮らし、二人でお店をやっていてそれで生計を成り立たせていた。だけどこの方が亡くなってしまうと法律上他人になってしまう。財産が一円もいかないからお前司法試験に受かって法律分かっているんだろう。確実にパートナーに財産がいくように書類をみてくれというこういう話だったんです。二人にはまず、養子縁組届けにサインをしてもらいました。そうすると親子になりますので確実に財産がいきます。ただ片方が外国籍の方なので養子縁組届けに一個でもミスがあるととんでしまう可能性があります。もし養子縁組届けがダメだった時に備えて遺言を作りましょうということになったんですね。遺言というのは全文自筆でかかなければいけないんですけど、全部を渡すんだったら簡単です。遺言状 全ての財産を誰誰に委譲する。平成何年月日、誰誰ハンコ。これだけなので私は、そこでひな形を書きまして、横たわっている方の枕元にもっていって書いてもらうんですね。ところが書きあがらないんです。もう余命数日の状態なので手が震えて書き間違っちゃう。書き間違うと法律では厳密に訂正の仕方がきまっているので訂正するよりは書き直した方が早いとやり直すんですけどまた間違える。いつまでたっても書きあがらないわけです。私は見るにみかねて遺言というのは全文自筆で書くのが原則なんだけどこういう時には例外があるんです。お医者さんの診断書があって立会人、証人が何人かいれば本人が書かなくていいという例外があるので書きましょうと言ったんですね。ところが今度は私を呼んだ友人たちが、難色をしめした。なぜかというとその方々は5060代ですけどみんなゲイ仲間だったんですね。50代、60代の方々は自分がゲイだということを誰にもオープンにしていなかったんですね。そこで立会人として証明するということは裁判所や他に関係者にゲイ仲間だということがバレてしまう。だから協力できないということになっちゃったんですね。仕方がないのでもう一度原則に戻って本人に書いてもらうためにどうしたかというと、ひらがなだけで遺言書のひながたを私が作り直して枕元にもっていく。本当に歪んだひらがなだけの小学生が書いたような遺言が何十分もかけて出来上がったんですね。で、養子縁組届けができた。遺言もできた。これで財産が全部いきますねとほっとした矢先にトラブルが起きました。ベッドで横たわっているご本人の遠い親戚が病室に到着して大騒ぎになったわけです。死亡直前の状態に不正な書類が作られていると騒ぎになってしまって私はまだ弁護士ではなくてどちらかと言えば準国家公務員的な立場なので騒動になると前に出られない。当のご本人はずっと書き続けたので疲れて昏睡状態になっちゃっている。で、韓国人パートナーは日本語も不自由だし、感情的になっているので冷静に話せない。仕方なく呼んだ友人たちが、その怒っている親族の方々に2時間かけて一から2人のことを説明して、最初火を噴いていたご親族でしたけれども最終的には、納得して、韓国人パートナーと共に養子縁組届けをだした。それを見届けて、私は翌日、高知に行き、数日後ご本人亡くなられましたという連絡を頂いたんですね。実務修習に注力していてそのこと忘れかけていた数か月後に再び友人から電話がかかってきてあの後、実は韓国人パートナーがオーバーステイ、在留期間過ぎて日本にいたことがわかって家族が全財産を引き継ぐのだったら入管にオーバースティを告発すると言い出して、結局100万円か200万円だけそのパートナーは受け取って東京から離れて行った。これが2002年のことでその後の報告なのでどうしようもなかったですし、仮に真っ最中に相談受けても私は高知にいた。かつ2002年当時セクシュアルマイノリティに取り組んでいる弁護士は日本にほとんどいなかったですね。これが男女であれば遺言なんか書かなくても婚姻届けをだせば相続もできますし、それからパートナーの方も日本人の配偶者として安定的に日本にいられる。もしオーバースティになっていても駆け込み婚といって法律婚すれば在留特別許可といって日本にいてもいいよと言われるんですよね。男女だったらそうなのに男性同士だっただけで亡くなる前後、こんなバタバタになっちゃうのかということが弁護士になる直前に目の前で起きたということもあってこの問題を弁護士になったら取り組んでいきたいと思いました。

 日本はそれまでセクシュアルマイノリティに対する裁判例がほとんどなかったんですけど、それはそれだけ当事者が声をあげられないという差別偏見がひどかったということもありますし、他方で弁護士の側も人権問題に取り組んで知る弁護士ですら、酒の場でホモネタとかで笑いあっている。人権問題だという意識が全然ない。だからこそ困っている当事者もどの弁護士のところにいけばいいのかわからない。それで法的状況も改善しないままだったと思うわけです。そのことから、弁護士になって4年後、2007年にLGBT支援法律家ネットワークを立ち上げました。立ち上げる前に名古屋の若いゲイカップルさんが私のところにやってきて同性婚が認められないことを国相手に裁判をやりたいと言ってきたんですね。で、2人に今、二人が結婚できないことで具体的に何に困っていますか?と聞いたら、今は自分たち若いから困っていない。社会的に問題提起したいと。私はいや、まだLGBTの言葉も誰もしらない状況下で、児童虐待のように今、困っている人のことが多いので、困っていない人の裁判ってなかなか社会とか裁判所も変えていかなきゃと思ってくれないよと。スタートするのは早いと思うけど、名古屋からわざわざ私の東京の事務所にきて何かしたいと思ってくれるのであればそのエネルギーをちょっと違う方向に使ってみませんか?と提案したんですね。過労死事件も昔は夫が亡くなって一人で困っている妻と弁護士が電話一斉相談につながって変えてきたという歴史があるので今もどこかに困っているセクシュアルマイノリティ当事者がいてそれが弁護士につながっていないのが問題だから、例えば私が東京にいて君たち名古屋にいて、尾辻かな子さんという今国会議員やっている方ですけどレズビアンを公表して当時大阪府議員やっていた方が大阪にいるから、東京、大阪、名古屋で電話相談をやって困った当事者が裁判起こすってなった時に今、困っていないあなたたちが支援をすることであれば私たち弁護士も取り組むよと電話相談で組織づくりをしていったんですね。ところが電話相談は行われなかったんです。なぜか?かき集めても法律家が5人かそこらししか集まらなかったんですね。その後、取り組む法律家の輪を広げていこうと2007年にようやくスタートした。そういう状況でした。最初のころ、取り組み始めたころどんな事件がきていたかというと分かりやすい差別、偏見の事件はあまりこないんですね。多かったのは、まさにアウティング事件だったわけです。どんなアウティングかというとゲイカップルあるいはレズビアンカップルで片方は愛想つかして別れたいと思っている。だけど別れを言われた側は、今自分が捨てられるともう新しいパートナーと出会えないと思っているのでどうにかして別れないようにいろんなことを言うわけですね。それがどんどんエスカレートしていってあの時貸した金返せとかいろんなことが始まるんですけどやがてはどうしても別れるというんだったら今からあなたの実家にいって親と話しをする。あなたの学校に行って、先生と話しをする。あなたの職場に行って上司と話をする。ネットに書いてやるという脅迫が始まるんです。で、言われた側は、家族や周りには自分のセクシュアリティを言っていないので顔真っ青になって私のところにやってくるんです。私から相談者にはこれ代理人として内容証明郵便をだしてやめなさい脅迫ですよといえばとまりますよといいますが、すぐに受任にならないことがほとんどです。むしろそうやって火に油を注いで本当に実家に行かれたら困るとなるんですけどそうするとすぐには受任しないで、何度も法律相談重ねていく。そうしていくうちに脅迫がどんどんエスカレートしていく。ギブアップになって依頼をうけて内容証明をだしてとまっていく。これが初期のころ本当に多かったですね。同時に3件くらいかかってきてきたこともあります。この話をしますとなんだこれ当事者間の痴話げんかではないかと社会からの差別偏見と違うじゃないかと感じる人もいるのかもしれないんですけど、私は全くそう思わないですね。むしろ社会の差別偏見が根底にあるからある事件だと。ばらすぞと言われて顔真っ青になっている方が何を怖がっているかというともちろん脅迫してくる相手のことが怖いんですけどもっと分析的に考えれば、ばらされちゃったあとの家族、ばらされちゃったあとの学校、ばらされちゃったあとの職場で居場所がなくなるかもしれないと思うから、顔真っ青になっているわけですよね。例えば家族とか職場が彼がゲイと知っていますけれど、それが何ですか?プライベート持ってこないでください。彼女がレズビアンだと知っていますけど何なんですか?という社会であれば、そもそも法律トラブルにならないわけですよね。日本はセクシュアルマイノリティだということとで命の危険がすぐにある国ではありません。地球の裏側のブラジルは今、同性婚できますけれど、それでもセクシュアルマイノリティを理由に毎年、何千人という方が殺されています。それに比べるとまだ日本は刺されるとか殴られるとかないですけどその反面小さなマイナス感情、ホモネタ、オカマネタで笑っている。だから居場所がなくなるかもしれないという一人ひとりの小さなマイナス感情が十とか、万とか千とか重なって、一人の人間にポンとのしかかった時にその人の人生、生活そのものが奪われてしまう。これがアウティングの本質的問題差別、差別の根底があるからなのだといつも思いますし、残念ながらそれが背景にあって亡くなった事件があり、それをきっかけにこの国立市が条例の中でアウティングを禁止することは大事なことだっただなと思います。

 それと同時に皆さんには、そのアウティングの原点であるひとつひとつのマイナス感情の逆をやればいいと常に言っているんです。だいそれたことをするのではない。少しずつ日々の中で、セクシュアルマイノリティの話聞いてきたけどすごくためになったよ。そういうテーマのドラマをみて本当にいいと思った。という少しずつのプラス感情をだすだけでそのそばにいるカミングアウトしていないできない当事者がこの人だったら何かあったら相談できるんだな。という心の支えになるというだけで全然違うのではないかといつもお話しをしています。そうやって2007年にいろんなネットワークをつくったおかげでいろいろ増えてきて、今から7年前には性同一性障害のお父さんがお父さんと最高裁で認められました。私が弁護団長をやりました。あの事件をきっかけにさらに弁護士たちも人権問題として取り組んでいこう。当事者もおかしいことにおかしいと声をあげていいんだとその周りの支援者たちもどんどん増えてきたと実感しているところです。

 2015年今からちょうど5年前は、結構大きな一つの境の年だったと思います。どちらかというとトランスジェンダーの事件は社会生活上の問題が起きるので、裁判とか法律トラブルで表面化しやすいんですが、ゲイ、レズビアン、バイセクシュアルは言わなければわかんない、だからそのまま我慢していることで声がなかなかあがらない。他の国みたいに同性婚を求める運動もでてこないので私たち弁護士の方から当事者に呼びかけて、いきなり裁判やるのではなくて弁護士会に同性婚がないということが人権侵害だということを表明してくれと申し立てをしたんですね。せいぜい50から100人くらいが集まると思ったら42都道府県の455人が声をあげることができた。この年は渋谷区と世田谷区で同性パートナー証明の話もでてきた、さらにアメリカの連邦最高裁が50州全部で同性婚を認める判決文をだした。この2015年から急激にゲイカップル、レズビアンカップルについても理解が進んできたなと思っています。

  そういった中で今回国立がですね、すでにある条例の一部を改正してパートナーシップの証明を出していこうという制度作りで弁護士の立場から、意見をだしてくださいということでお役にたててよかったなと思います。報道などでは他の地域と違い、在住の国立の市民だけでなく、国立の通学している通勤している方も対象になるということがいい特徴ですねと報道されていてそこも私は本当に大事なことだと思います。本来は国全体で同性カップルについて法的保障をしていく必要があるんだろうと思うんですけど、今、過渡期ですし、カップルで当然、いろいろ国立以外でもいるわけですよね。そこで通っている人、まだ、カップルと一緒に暮らしていない人国立以外に一方がいる人、そういったところにも目を行き届かせて、通学、通勤の方も対象にするって素敵だったなと思っています。あまり報道されていないんですけど、私が一番この国立の条例の中で素敵だなというところはパートナーシップの定義なんですね。他の自治体はパートナシップ証明書出す時のパートナーの定義を例えばこんな風にいっているんですね。「二人の者が互いを人生のパートナーとし、経済的、または物理的、かつ精神的に相互の協力により、継続的な共同生活を行っている。または、共同的な生活を約している」経済的、物理的、精神的に相互の協力ということ、いかにも法律家がかきそうなことなんですよね。市民委員会の人たちで議論していたのは、法律的夫婦は物理的なとか経済的なとか協力案件はもちろんそういう側面はあるけれどもうちょっとそうじゃないパートナーってこういう風にあってほしいというとくにDVに取り組んでこられた委員の方のご意見もあり、国立が考える2人のパートナーシップってどんなものだろうと他の地域の法律用語ではないもの、もう少し理念的なものを示したいということでいろいろわいのわいの楽しく議論していった結果、このように定義をしました。「互いを人生のパートナーとし、相互の人権を尊重し協力し合うことを約した、継続的かつ対等な2者間の関係」実は日本の民法には、結婚の定義がないんですね。近親婚はだめですよとか、未成年は保護者の同意なしではできませんよとダメなことは書いているんですけど。そもそも結婚って何?という定義が書かれていないんです。私も前の法律事務所で若い女性の事務員から、愚痴半分に山下さん、結婚って何なんでしょうね。とこぼされて私は冗談半分に法律的には婚姻届けにサインして役所に出すことですかねと言いましたけど、そういうことではなくそもそも婚姻とは何かと言われてみるとよく分からない。だけど条例を作るときにはパートナーシップってそもそも何だったんだろう。逆にいうと法律の婚姻ってなんだったけ?そこらへんの本質のところをすごく議論していて、民法には書いていないけど国の大元のルール憲法には、婚姻というものはお互いを平等に尊重し合って、作らなければいけないと書かれているんですよ。実際はDV被害とかいろんな関係ありますけど。国立でパートナーシップとして証明していくパートナーの定義をこのようにつくったことはとっても大事だったなと思います。

 今日は弁護士がでてきてどんな難しい法律とか裁判の話をするかと身構えた方もいらっしゃるかもしれません。私は講演呼ばれた時は出来る限り行きますが、あまり法律の条文とか裁判の話はしないですね。人権という言葉を一番伝えたくて、引き受けることにしています。弁護士の仕事って裁判する仕事ですと答える方も多いですけど、正確に言えるのは人権を守る仕事です。弁護士法という法律にはっきりそう書いてあるから。人権ってなんなのか?ぱっと説明しづらいですよね。教科書ですと「人が生まれながらにしてもつ権利のことです」と書いているけど、それじゃよくわからない。私は、子どもの事件を多く担当しているので子ども達にはいつもこう説明しています。「人権というのは人がどんな人でも大切な存在として扱われる、尊重されるということですよ。誰かのものとして扱われるものではない。誰かの人形として扱われるのではない。誰かの奴隷として扱われるのではない。一人ひとりが大切な人間、大切な存在として扱われるということですよ。それは、大人でも子どもでも。病気やしょうがいをもっている人ももっていない人も。国籍が日本の人も外国の人も。お金持っている人ももっていない人も。勉強が得意な人も苦手な人も。外の見た目がどんな人でも。心の中の感じ方が頭の中の考え方がどんな人も、そして男でも女でもセクシュアルマイノリティでもどんな人でも一人ひとりが大切な存在として扱われる尊重されるということですよ。そして独りぼっちではない、ここにいてもいいんだと思えるしっかりとした居場所があること。自分の人生を誰かに指図されるのではなくて自分で選んで生きていくことができること、そして毎日の暮らしを安心して過ごすことができるし、幸せな人生を送ることができるんですよ」と私がいま言ったこと全部ひっくるめて法律の世界では「人権」と二文字で表現しています。と説明していますね。過労死、セクシュルマイノリティ、児童虐待の事件、一般民事刑事全てについていえることです。セクシュルマイノリティもですよね。性別が戸籍上の性別と違う社会生活を送ることで毎日が不安、人生を思い描けないとか同性のパートナーと婚姻を結ぶことができないとか、亡くなる前後でこんなにバタバタしなければいけないとかそういった人生が損なわれている人たちを法律や裁判を使って守るわけです。でも私が今申し上げた人権の定義から言ったら、別に弁護士だけが守れる話ではないと同時に気づかれると思うんですよね。というか、一生涯、弁護士のお世話にならない人生の方が、はるかにいいわけで。だからこそ講演で人権の話を皆さんにして弁護士のお世話になるもっともっと手前の段階で日々の暮らしの中で相手の人権、自分の人権をお互いに尊重し合う事の大切さを話しています。今回国立で新しくできたパートナーシップ制度というものはまさにそれを全体として市民の皆さん全体として、尊重し、お互いそこにつながっていくというとても大事な条例改正だったなと思いますし、まさに今日のトークセッションのテーマを一人ひとりのらしさを大切にする国立を本当に大好きなので今後も国立市のお役にたっていきたいなと思っています。