12月17日 人権週間トークセッション 講演録②

①の続き

松岡宗嗣さん(ライター/政策や法制度を中心としたLGBTに関する情報を発信する一般社団法人fair代表理事)

「悪気がなかったとしてもよかれと思ってだったりしてもそれが不用意に当事者を傷つけてしまったり、排除してしまったりしてしまう」

 松岡と申します。よろしくお願いします。

 一般社団法人fairの代表をやっています。普段は法律や政策のLGBTQに関する発信を行っています。山下さんのお話しがハートフルにご自身の人生をふりかえりつつ、スライドもなしでこんなに上手に語られて自分にはできないなすごいなと思ったんですけど、私はどちらかというと自分がこういうことをやってきたというより、「よかれと思って」という問題についてお話しができればと思います。何でこんなタイトルをもってきたかというのは後ほどお話しします。

 私自身は愛知県名古屋市出身です。大学から上京して今は東京に住んでいます。ゲイの当事者でもあります。普段はヤフーニュース、ハフポスト、現代ビジネスなどで記事を書いていまして、例えば最近だと同性カップルの結婚に対する訴訟「結婚にたいする自由を全ての人に」訴訟があり、そちらを報道しました。あと最近だと他者に恋愛的な欲望、性的欲望を抱かないアロマンティックアセクシュアル当事者に対する調査を報道したりとか、また足立区で某議員さんが足立区にレズビアン、ゲイが増えると足立区は滅んでしまうという発言がありましたが、詳細に何が問題かという解説を記事にしたりしています。

 先ほどご紹介いただきましたが、集英社新書から、「LGBTとハラスメント」という本を出しました。この中でSOGIハラとアウティングということについても書かせてもらっています。前半部分では法律についての話というよりは、LGBTによくある勘違い、偏見ともいえますし、勘違いがたくさんあるよねというところをいくつかパターン化して、最後にこういう法律ができたんですよと展開する形になっています。この本を書いた大きなきっかけの一つが、国立市のパートナーシップやアウティングに関する制度ももちろんなんですけどもう一つ、先ほど紹介がありましたパワハラ防止法を基点に本を書いたんです。20195月に「パワハラ防止法」が成立して、今年の6月から大企業で施行され、中小企業では、2022年の4月からということになっています。いわゆるパワーハラスメントと認識されている暴言とか殴るとかそういったものも含めて、企業、自治体、学校に対してパワハラを防ぐ防止する対策を講じなけれがいけないですよということが法律で義務付けられました。パワハラというものの中にLGBTに関するハラスメント、SOGIハラやアウティングというものが含まれている。実はこういう企業に何らかのLGBTSOGI関する対応を義務にしたというのは初めてだったので、ほんとに画期的な法律だったなと思っています。そもそもLGBTって何?SOGIって何?という認識が進んでいない管理職だったり、企業で権力がある意思決定を担える人たちに向けてどういうメディアを使ったら届くかなという考え、新書という形が手にとりやすいのではないかということで本を書くことになりました。

 SOGIハラ、アウティングが何ぞやというところは皆さんご存知と思いますが、性自認、性的指向に対する侮蔑的なことを言うことをSOGIハラと定義されています。よくLGBTハラスメントの方がわかりやすいんじゃないと言われることも多いんですが、会社の中のハラスメントっていわゆる当事者に対するハラスメントではなくて非当事者に対しても性的なハラスメントはよく起きているのかなと思います。例えばある男性がちょっと女性的表現をしているだけで「お前はおかまか、ホモか」というような侮蔑的な言動が起きると思うんですけど、これは被害者の方はゲイのこともあるけれどもヘテロセクシュアルのこともある。LGBTハラスメントにしてしまうと被害者が非当事者であるとLGBTハラスメントではなくなってしまう。ゲイの当事者ではないとハラスメントではないということになってしまいます。ですから、性自認、性的指向という属性に対するハラスメントなんですよということでSOGIハラという言い方を使っています。アウティングに関しては説明することもないかなと思いますが、本人に断りなく第三者に暴露することと言われていますね。今日は良かれと思ってという話をしたいと思います。今の職場の現状について振り返ってもらえばわかるんですが。今日きてくださっている方というのは、わざわざ性的マイノリティをぼこぼこにしたいとか殴りたいとか差別したいとか思って会場に来ている人は、いないと思います。だからこそぜひ持ち帰ってもらいたい視点があります。

 今、職場の厚労省の調査において、いわゆる性的マイノリティという存在がこの世の中にいるということを9割くらいの人が認識をしていることがわかっています。世の中にゲイと呼ばれている人、トランスジェンダーと呼ばれている人がいることは分かっているんですね。一方で自分の職場にはいないと思っている人が、約7割に上っています。世の中にいるんだけど自分の周りにはいない。それは当然で何故かと言うと職場で性的マイノリティ当事者であることをカミングアウトしている人はだいたい1割前後なんです。9割くらいの人はカミングアウトしていない状況。カミングアウトしていないということは周りにいる非当事者は自分の周りにはLGBTと呼ばれる人はいない。だけど、最近メディアではLGBTとか報じられているから世の中にいるということは認識している。この状態というのがリアルに表れている。だからうちの職場にはLGBT、性的マイノリティの人はいないという思いこみのもと、悪気がなかったとしてもよかれと思ってだったりしてもそれが不用意に当事者を傷つけてしまったり、排除してしまったりしてしまう。場合によっては悪気のないアウティングをしてしまい、当事者をいつのまにか、本人も気づかないうちに追いやってしまうということが起きてしまっているというのが現状だと思っています。

 その点においていくつか事例を紹介します。本当にひどいなという事例から、あれ?これ意外と自分の周りでも起きているかもしれないなという事例までご紹介できればと思います。

 まずは、実際に私の友人の事例です。会社の飲み会で男性社員が女装して社員同士が抱き合っている様子を見て他の同僚が「お前らホモか、気持ち悪いな」と笑っているのをみた。その時点で自分はこの会社でカミングアウトなんてできないなと思っていたところ、2次会のカラオケで自分の言動が女性的でオカマみたい、気持ち悪いと何時間も執拗に責められて、辛くてなるべくトイレに籠っていた。最終的にこの人はこの会社はやっぱりむずかしいなと思って、自ら退職することになりました。これってまだいろんなところでおきているんのではないかなと思います。

 あとは、やはり、噂も多いと思っていて、例えば、トランスジェンダーであることをアウティングされてしまい、噂が広まり、この事例は本当にこんなことも起きるんだなと思ったんですけど、大きい会社だったんですが、他のフロアから従業員が物珍しくて覗きに来るようになった。

 これはトランスジェンダーに対するあるあるなんですが、例えばカミングアウトした人に対して、やっぱり声は低いよね。男だよねとか、目の形は女性っぽいよねとか。身体的みためとかふるまいとかそういったもので勝手に自分の感覚を押しつけて評価するようなことがある。飲み会で下どうなっているの?手術の状況について聞いてしまうとか、こういったものも当事者に対してよくあるハラスメントの一つとして挙げられています。

 他にもレズビアンであることを伝えると男に興味がないからいいだろと言われて胸を触られたとかあきらかに犯罪の域に達しているんじゃないかなと思えることも。

 それくらいひどいものもある一方で、当事者の中では、たしかにこれはあるかなという「良かれと思って」の事例がありました。例えばレズビアンであることを、先輩社員に伝えたところ、ある時、取締役の人に呼び出されて、そっとLGBTに関する本を渡された。きっとこの人は理解を示すために本を渡してくれたというところまでは理解できるんだけど、そのあと自分がレズビアンであることが自分の上司や、他の人にも伝わっていることが発覚しました。つまり、アウティングが起こっているんですね。その後、人事情報としても引きつがれていることが発覚してしまいます。この人は廊下を歩くたびに誰が自分がレズビアンであることを知っていて、誰が知らないのかまたは自分の人事査定で評価に影響しているのか?していないのか?というものがわからなくなって疑心暗鬼になり、誰も信じられなくなってしまった。というようなことがありました。きっと取締役の人は良かれと思ってそっと自分は理解するよということを伝えたくてやったと思うんですけど、それは当事者にとって誰が自分がレズビアンであることを知っているのかという不安にさせてしまったんですね。他にも被害者はLGBT当事者と限らないということでも良かれと思ってということはいっぱいあるかなと思います。

 例えば、会社でバイセクシュアルであることをオープンにしている人と仲が良くて、よく社員食堂でランチをしていると自分も当事者だとレッテルを貼られて早く言えばいいのにと嘲笑されるようになってしまうことがあったりします。

 LGBT当事者が周りにいないと思いこんでいる人も多いので直接的でなくても一般論かのように嘲笑がおきてしまっているところもあります。例えば実際に起きている事例だと職場でレズとホモどっちがましか言う話題が起きてしまっている。その中には当事者の人がいたと。他にもセクハラ関連の研修を受けた後にやっぱりホモとか気持ち悪いよねと感想を笑いながら述べているのを目撃した。こういったことがまだまだ起きてしまう。

 最後になりますがこの良かれと思ってということは多くの場合、相手の状況とかをあまり考えずに実は押しつけてしまっているとか偏見から判断してしまっていることが多いのではないかと今回、本にも書いています。どういう「よかれと思って」をとりあげているかというと例えば、私はLGBTの友達がいるから。理解があるよということはよく聞きます。どういうシーンかというとカミングアウトされて自分はゲイの友達がいるから理解しているよというわけですね。私だったら、まずそれを聞いた時に嬉しい気持ちになります。カミングアウトしたら受け入れてくれて自分の友達にもゲイの人がいるんだということを教えてくれてすごく安心するし、この人とは仲良くなれそうだなと思うんですが、もやっとするところは、理解があると言い切るこの瞬間なんですね。どういうことかというと、例えば私は女性の友人とか外国人の友人がいます。でも女性の友人や外国人の友人を理解しているとは言えないわけですよね。それは当然で女性といってもいろんな人がいます。外国人といっても様々な国籍であり、性格もさまざまな人がいて、経験もいろいろで、一概に理解するってことは言えないですよね。なぜか性的マイノリティとなるとある種の代表制を帯びてしまう。自分の知っている人がゲイの全部というふうに思われてしまうことが多いですね。やはり、理解があるという言葉がでてきてしまうとここには一つの勘違いというものがあると思います。

 他にも自分は気にしていないから、言ってもいいじゃないもよく聞く言葉ですね。つまり、アウティングというものが悪いものだと思っていない。その理由は自分はたいして気にしていないから、性的マイノリティであれどうであれ、別にいいんじゃないという気持ちだから、アウティングしても問題ないんじゃないと言ってしまう。自分は気にしていないから暴露してもいいという勘違いもよくあることかなと。これは当事者の経験とか、社会の状況を無視してしまう。という勘違いがあるかなと思います。自分は気にしていない。それはもちろんポジティブなことだと思います。でもその周りの100%すべての人に適切な認識があるとは言い切れない現実について学ぶことは必要なのかなと思います。

 最近増えてきたのは、過剰に大変だったね。理解しているよと声をかける。実は自分はトランスジェンダーなんだと伝えるとその瞬間からそっかー大変な人生だったね。という風に言ってしまう。やっぱりLGBTであるということが過剰な大変だったという属性として語られがちで。もちろん大変な状況というのはあります。なんですけど、大変な状況の中にも今日食べたご飯は美味しかったなとか昨日友達と遊びに行ったら楽しかったとか、そのさまざまな人間の生活というものがあるんです。もちろん一人ひとりの関係性においてはその人はその人の経験をしているものだからフラットに対応しよう。だけれどもいわゆるLGBTとか性的マイノリティというようなグループとして考えた時には、特有の困りごととかがあるのかもしれない。そういうような視点の切り替えというのは必要になるのではないかなと思います。このようなよくある話が時には良かれと思って追いつめてしまうことが実は自分には理解があると思っている人の中にも、あるんじゃないか、一般的な部分は押さえているけどという注意のポイントがあるんではないかと特に本には書いてあります。

 人には、誰でも無意識の偏見が備わっています。外科医は男性であるとか、カップルは異性であるという。この無意識の偏見が一つ一つ積み重なってマイクロアグレッションと言ったりしますが、小さな攻撃というものにつながってしまうことがあります。例えばLGBTの文脈ではないんですけど、外国にルーツをもつ人に対して日本語が上手ですね。と言ったりすることがあると思います。でもその人が日本にどれくらい住んでいるのか?またはいわゆるハーフ、ダブル、ミックスとかいいますが、お父さん、お母さんのどちらかが外国籍だったり、必ずしも典型的なみんなが想像するような外国人ではないかもしれないですよね。その時に日本語が上手ですね。ということが、場合によっては偏見になってしまう。でも言った側は結構良かれと思って言っている。ということがよくあると思います。実は一つ一つに対しては当事者からするとそんなに痛いとは思わないかもしれない。ちくっとするくらい。もやっとするくらい。だけどもこれが、やっぱり積もり積もるとまた言われたということでげんなりしてしまったり、それがコミュニケーションをとりづらくなる一つの要因になってしまう。ということでマイクロアグレッションという言葉がつけられているこういった小さな攻撃が見落とされがちなんじゃないかなと思います。これが最初のよかれと思ってということですね。こういうことを主にこの本に書いているので、もし、もう少し、ご関心を持たれた方は、手に取っていただけたら嬉しいなと思います。